Fichier de travail (INPUT) : ./dump/japonais-forces_spirituelles/50.txt
Encodage utilisé (INPUT) : UTF-8
Forme recherchée : 自然
Nombre d'occurrences de la forme recherchée : 5
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- Ligne n°6 : 『日本の自然崇拝、西洋のアニミズム』
Ligne n°7 : - 宗教と文明 非西洋的な宗教理解への誘い - ・・・
Ligne n°15 : ・・・ ではなく、理性そのものの問題へとひろがる可能性をもっている。こうした状況が面白く、解りやすく述べられている著作である。- Ligne n°16 : 著者の批判は表題の通り、日本の自然崇拝をアニミズムと理解するヨーロッパ中心主義的な姿勢に向かう。アニミズムは自然に人格性を認める信仰形態であ
- Ligne n°16 : 著者の批判は表題の通り、日本の自然崇拝をアニミズムと理解するヨーロッパ中心主義的な姿勢に向かう。アニミズムは自然に人格性を認める信仰形態であ
Ligne n°17 : る。それはヨーロッパから見れば、低級な原始的な宗教と見なされる。しかし、日本人の自然崇拝には人格性がない、もしくは稀薄である。そもそも日本古来 ・・・
Ligne n°16 : ・・・ 著者の批判は表題の通り、日本の自然崇拝をアニミズムと理解するヨーロッパ中心主義的な姿勢に向かう。アニミズムは自然に人格性を認める信仰形態であ- Ligne n°17 : る。それはヨーロッパから見れば、低級な原始的な宗教と見なされる。しかし、日本人の自然崇拝には人格性がない、もしくは稀薄である。そもそも日本古来
Ligne n°18 : の信仰には、人格性は稀薄である。浄土真宗でも、阿弥陀如来の人格性が問題になることなど殆どなく、むしろ、「不可思議」が強調されるのもこの伝統と無 ・・・
Ligne n°20 : ・・・ 。日本人にとって祈りといえば、現世利益を祈ると捉えられ、キリスト教的な神の人格性と向かい合うというような祈りは理解しにくい。こういう問題を指摘- Ligne n°21 : したのが、先の「浄土真宗、祈りを公認」という問題であろうかと思われる。信仰対象に人格性がないことを理解できないヨーロッパから見ると、日本の自然
Ligne n°22 : 崇拝はアニミズムとならざるを得ない。一方、日本人からは、キリスト教の祈りが理解し難いのである。 ・・・