シリアから遠く離れた日本。
首都圏近郊を転々としているシリア人がいます。
30代のこの男性、1年前に日本に逃れてきました。
シリア国内に残る家族の安全を考え、顔を出さないことを条件に取材に応じました。
日本政府に保護してもらいたいと、難民申請をしています。
今のところ難民としては認められておらず、日雇いの仕事で得る月2万円ほどで暮らしています。
持ち物は着替えの詰まったバッグ1つだけです。
シリア人男性
「カバンの中にある服と、お金が1万3,000円。
これが全財産です。」
住む家はなく、知り合いの家を毎日のように転々としています。
シリア人男性
「今日、あなたのところで泊まらせてもらえますか?」
これまでビジネスで何度も訪れていた日本に行けば何とかなると思っていましたが、待っていたのは厳しい現実でした。
シリア人男性
「生活は悲惨です。
家も仕事もなく、こんなひどいことはありません。」
この男性を含め、現在日本で難民申請をしているシリア人は52人に上っています。
しかし、難民として認められた人はいません。
難民申請をしている1人、ユーセフ・ジュディさん。
2年前に逃れてきて、解体工場などで働き、生活しています。
「アサド大統領は出て行け。」
日本に来たきっかけは、故郷のシリア北東部で起きた反政府デモでした。
ジュディさんもデモに参加し、政府に追われる身になったと言います。
ユーセフ・ジュディさん
「殺されるか、家族を残してシリアを出るしかなかったのです。
それが日本にいる理由です。」
一緒にデモに参加した、いとこ2人と、ブローカーが手配した航空券で飛行機に乗り、たどり着いた先が日本でした。
今一番気がかりなのは、残してきた家族です。
ジュディさんがシリアを出たあと、故郷に戦火が広がり、妻は子ども2人を連れてイラク北部の難民キャンプに避難しました。
今月(6月)に入り、難民キャンプから80キロほどの都市モスルをイスラム過激派組織が占拠し、イラク軍との間で激しい戦闘が続いています。
1日でも早く安全な日本に家族を呼び寄せたい。
ジュディさんが難民認定されなければそれは不可能です。
ユーセフ・ジュディさん
「みんな元気か?
状況は?」
妻
「ここの状況は良くないわ。
すごく暑くて子どもたちは疲れている。
娘は“いつパパのところに行くの?”って聞いてくるの。
私たちのこと、いつここから連れ出してくれるの?」
ユーセフ・ジュディさん
「日本は法律が厳しくて、なかなか許可が下りないんだ。」
家族が暮らしているテントは日本政府が提供したものです。
ジュディさんは日本政府には海外で難民を支援するだけでなく、国内に難民を受け入れてほしいと考えています。
ユーセフ・ジュディさん
「子どもたちのことを考えると眠れません。
子どもたちを日本に連れて来ることさえできれば、他には何も望みません。」
シリアから周辺国などに逃れた難民の数は280万人を超えました。
周辺国の受け入れ能力は限界に達しています。
UNHCRでは、来年(2015年)から再来年(2016年)にかけて、世界各国にシリア難民を10万人受け入れるよう求めています。
これまでにドイツやスウェーデンなど20か国が受け入れを決めましたが、日本政府は検討中だということです。
UNHCR マイケル・リンデンバウアー駐日代表
「日本政府の決断には複雑な過程と時間がかかると聞いています。
そのため、まだ正式な答えはもらっていません。
日本政府がシリア難民の受け入れを決断してくれることを期待しています。」
有馬
「こちら、3,260分の6。
この『3,260』というのは去年、日本政府に難民申請をした人の数なんです。
『6』というのは、難民として認定された人の数。
500分の1、ずいぶん難しい難民認定なんですが、こちらも見てください。
今度は、52分の0。
シリア人で難民申請した人の数が52人で、認められた人は0なんですね。」
黒木
「日本政府は、難民の受け入れを、『国際社会において果たすべき重要な責務』として、難民条約などにも加盟していますけれども、難民認定につきましては、『保護を必要としている避難民であっても、その原因が、例えば、戦争、天災、貧困、飢餓等にあり、それらから逃れてくる人々については、難民条約または議定書にいう難民に該当するとはいえず、難民の範ちゅうには入らないこととなる』としています。
日本政府は、UNHCRに去年、250億円の拠出金を出しています。
これはアメリカに次いで世界2位です。
一方で、国内での難民の受け入れには消極的だと、批判も受けています。」