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※この記事は日経ビジネスオンラインに、2011年2月18日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。

 「人攫(さら)い」という言葉をご存知だろうか。「攫(さら)う」とは「人の油断を見て奪い去る」という意味であり、「人攫い」とは「女性や子供の隙を見て連れ去ること、また、そうする人」を指す。筆者が小学生であった昭和30年代の前半(1950年代)くらいまでは、夕方になって辺りが暗くなっても遊びに夢中で家に帰らない子供たちがいると、大人は「いつまでも遊んでいると人攫いに連れて行かれるぞ」と脅して早く家に帰るよう促したものだった。誰が言い始めたのかは知らないが、これには「人攫いに連れて行かれるとサーカス団に売られて、曲芸をするために厳しい訓練を受けさせられる」という暗黙の了解があり、「人攫い」が怖い子供たちはそれを聞くと素直に家路を急いだものだった。

子供を抱えて走る黒色のジャンパーを来た男

 2008年3月25日の夜7時頃、広東省深圳市光明新区の公明街道合水社区で“電話超市(公衆電話店)”を営む、湖南省出身の“彭高峰”とその妻は、幼稚園から帰って店の前で友達と遊んでいたはずの息子が戻ってこないことに気付いた。息子の“彭文楽”は当時3歳のいたずらっ子で、時々遊びに夢中になって帰りが遅くなることはあったが、7時になっても戻ってこないのはおかしい。そこで夫婦は近所を探し回ったが、彭文楽の姿はどこにもなかった。

 もしや誘拐されたのではと不安を感じた彭高峰は、8時過ぎに警察の派出所に、「息子が戻らないが、誘拐されたのではないか」と届け出たが、警官は「ここでは誘拐なんか10年以上起こったことはない」と相手にしてくれなかった。すがれるのは警察しかないのだ、彭高峰はひざまずいて警官を伏し拝んで捜査を行うよう懇請した。これを見た警官は渋々ながらも受け入れて、捜査手配を管内の警察署および派出所に通知すると約束してくれた。

 そこで、彭高峰は警官に対し、街路の各所に設置されている監視カメラの録画映像を調べさせて欲しいと依頼した。初めのうちは拒否していた警官も最後には折れて動いてくれたが、残念ながら彭高峰の自宅兼店舗周辺の監視カメラは道路工事の関係でケーブルが切断されていて映像は録画されていなかった。警察から戻っても息子は帰らず、彭文楽の行方不明は確定的なものとなり、彭高峰夫婦は打ちひしがれたが、息子を探そうにも手掛かり1つ残されていなかった。息子の失踪から十数日後、警察が正常に作動していた監視カメラの映像の中に手掛かりを発見したことで、彭文楽が誘拐されたという事実が判明した。

 事件当日の監視カメラの映像には、彭文楽と思われる子供を抱えて走る黒色のジャンパーを来た男の姿が映っていた。子供は泣き叫びながら必死に抵抗し、一度は男の手から逃れて路上に落ちたが、すぐまた男にとらえられた。男は子供を抱え直すと、ちょうどそのそばを通りかかったバスに飛び乗ると悠然と去って行ったのだった。

『子供捜しショップ』の先駆け

 この映像の発見により彭文楽が誘拐されたことは明らかとなった。息子が行方不明となった翌日にパソコンを買い入れた彭高峰は、インターネットを通じて子供探しを開始した。3月27日には同じ深圳市の南山区で誘拐された息子を探す、彭高峰と同じ湖南省出身の孫海洋と知り合い、共同してメディアの協力を求めてゆくことを約束した。それから間もなくして、彭高峰は自分の経営する“電話超市”の店の上に“尋子店、変売家産、懸賞10万”という看板を掲げた。意味は「子供を捜す店、家産を処分して金に換え、懸賞金は10万元」となるが、これは中国における『子供捜しショップ』の先駆けとなり、その後多くの子供を誘拐された親たちが同様の看板を掲げるようになったのだった。

 彭高峰は息子の写真を載せたポスターを何万枚も印刷して深圳市内のあらゆる場所に張り出すと同時に、インターネットの掲示板に息子の写真を掲載して情報の提供を求めた。そうこうする間に“電話超市”の経営は立ち行かなくなって閉店となったが、兄に頼み込んで借金をした彭高峰は2009年6月にネットカフェを開業し、仕事の合間を縫ってネットを通じて息子捜しができるように生活方式に切り替えた。こうしてネット上には数えきれないほど多くの「彭文楽捜し」の書き込みがなされたし、友人の新聞記者のブログにも「彭文楽捜し」の記事が何度も掲載された。それらがネットで転載されることによってより広範囲に伝えられた。さらに、彭高峰は2010年9月30日にミニブログを開設して「彭文楽捜し」を強化したが、2011年2月11日時点では彼のミニブログには2万2539人もの読者が登録していた。